目標を達成する為に努力し、その感性を磨きつつ、スポーツと人材育成はイコールである事を立証すべく、日々奮闘中のBossが綴る辛口独り言。

2009年11月09日

ボランティア活動の意義 Part1


日本各地には多くのボランティア団体が存在します。
私が活動している地域スポーツ少年団や福祉・教育
環境の支援団体がそれに該当してくるかと思います。
ボランティアの語源を調べてみると、
ボランティアとはラテン語の"voluntus"や"Voluntarius"を語源に持ち、
もともと「志願者」「有志者」という意味を持つ言葉です。
誰もが、自分でできることを自分の意志で周囲と協力しながら
行う活動のことをいいます。
奉仕活動の同義語、無償労働の意でボランティアという言葉を
使うことが多いと思います。

ボランティア団体は「志願者」が自主的に行う活動であったり、
非営利的に行う活動でもあるがために、グレーな部分もあります。

例を挙げると、
◆団体そのものの存在意義が明確ではない。
 大きなキャッチコピー(Ex健やかで健全な青少年の~~~)は
 掲げていても、その中身は統一されていないため、それぞれ担当する
 部員・指導者に〇投げされている。
◆日常、仕事を抱えている為に、登録していても名ばかりでほとんど
 活動に参加していない。
 等々。

本来、ボランティアとして、その活動を支えている事に対して、
その部員らから感謝こそされても非難される事はそもそもおかしな
事ですし、あってはならないと思います。

しかし、何故このような事が至る所で発生しているかというと、
団体の方向性やさらにはそれを落とし込んだ運営指針や指導指針が
確立されていない事が原因ではないでしょうか。

ボランティアと言えど、引き受けたからには責任が生じます。
すべての部員の希望に沿う事は難しい。しかしできる限りの事がすべき。
その為には、学習し学ぶ事をしなければいけない。

時間を割き、活動に参加してくれている指導者に、毎月のお礼があっても
いいのではないでしょうか。それによりさらに明確な責任が生じますよね。
そうすることによってより多くの参加者が喜びを感じるのであれば、
毎月500円追加で徴収してもいいと思います。
しかし、中には金銭が発生すると「これとこれはやるけど、あれはやらない」とか
仕事に通じた考えを持ち込む事も出てくることが予想されますから、
一概に金銭発生がプラスに転じるとも言い切れない。

最終的には、その団体の役員が話し合い、団体としてより良い方向に向かって
話し合い、検討し作り上げていくしかない。
我が団体も毎月役員会を開催しているが、事後報告と次月予定報告に終始している。
もっと話し合わなければならない事が山積みされていると感じます。
「あの指導者が頑張っているのだから私たち(参加者・保護者)も何かできないかな?」
と強制ではなく、考えて行動する事、これが本来のボランティアの姿なのかなと思います。

元々私は金銭関係なく、関わっている学年に全力を注いでいます。
皆さんそうかと思いますが、その注ぎ方の方向性、内容が問われる。

昔は学校教育と家庭教育で成り立っていた部分が、少しずつ変化している
現代では、各団体の指導者にかかる責任も以前にもまして大きくなっていると
思います。

今回もまた長々文章の上、「何を伝えたいの?」って感じですが、今回は問題提起という事で。

今日の格言
「取り組めば 取り組む程に 難しい」

Part2に続く












Posted by Boss at 10:05│Comments(5)
この記事へのコメント
ボランティアに一律の規定を設けることは必要でしょうか。感謝の言葉すら与えられることなく追われる身となったボランティアスタッフのやりきれない思いは誰が拾い上げてくれるのでしょうか。設けた規約に反する行為と一方的に凶弾され、信ずべき己の信念さえ見失った人間はどこに行こうと関係ないといった態度の組織が、世に認められる存在として我が根城を守る姿は、吐き気さえ覚えます。裁くべき行動や守るべき規律を履き違えた団体は淘汰されるべきと考える私は、被害妄想の塊なんだそうです。
Posted by 通りすがり at 2009年11月09日 12:20
>通りすがりさん

コメントありがとうございます。
組織として活動するに当たり、組織としての活動指針は必要かと思います。しかしボランティア活動を通じて地域貢献をされている方を一方的に凶弾し排除する事はあってはならない行為。最低の団体ですね。
そのような事が二度と起こらない為にも、団体としてどうあるべきか考える必要があると思います。

通りすがりさんに起こった事実は許されない行為です。おそらく、その団体職員は事実と反した内容を議題にかけ、自身を守るかのように、人を傷つけた。それでもその酷さに気づく事もないでしょう。誰かその役員の行動を正す人がいればいいのですが・・・・・。
Posted by pixypixy at 2009年11月09日 12:35
ボランティアって、結局団体のいいようにつかわれてる感じがします。その上、都合が悪くなるともう来なくていいよ的なこと言ってくるし。

だいたい、ボランティアってのは団体になればなるほど、個人ができること以上の事を求められるので段々参加するのが苦痛になってきます。その結果ボランティアになってない気がします。

『できる事だけしかやらない(できない)けど、なにか手伝いたい』

その意志が伝わらない、その内容で協力することを受入れない環境の団体なら、ボランティアなんて絶対やりません。今まで通りにやって勝手に困れば?って感じです。

だから、家族・友人・自分にたいしてだけボランティアすればいいやと思ってます。
Posted by 本当のこと at 2009年11月11日 12:02
ボランティア活動が苦痛である。自分ができることを役立てて関わる人、自分の喜びとすること。そこに強制や規制やまして他のスタッフとの比較、評価があったのでは、本来の意義から逸脱していると考えていいのではないでしょうか。対価として金銭を受け取ったり、さまざまな恩恵にさずかる人間がいる組織においては、ボランティアに頼る姿勢を真摯に考えられるリーダーがいなければ、やがてすべてが紛い物のように感じられても当たり前なのでしょう。自分はこれだけやっている、そのスケールを他人に当てはめることほど滑稽で愚かであると気づく人間がいないようでは、成長はなく、淘汰されて当たり前でしょう。調子に乗って、人間性や、心を失う前に関わることをやめるのが得策です。犠牲者が子供たちであることは絶対に許される行為ではありません。
Posted by 輩 at 2009年11月12日 00:05
>本当のことさん
>輩さん

熱いコメントありがとうございます。
やはりトップに立つ人間の人間性、組織としての明確な目的意識、それに関わる人材へのサポート体制 等々、疎かにしている部分が大きな問題へと発展していきます。
熱い気持ちを持って参加している人材を粗末なものを扱うかのように排除し、自己の立場だけを守ろうとする、某チームのような組織は、事が公になれば誰も応援しなくなるでしょう。その時気づいても遅いでしょうし、犠牲は選手達(子供達)です。
Posted by pixypixy at 2009年11月12日 00:24
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